2013年12月8日更新

昨今の話題

いろいろありまして、元のサーバーから追い出され、半年あまりの沈黙を破ってこちら”FC2”さんのサーバーに載せる事としました。よろしくお願いします。
さて、内容はといいますと、橋の話題はあまり変化が無く、だんだんと飽きてきてしまいましたので、しばらく沈静化し、その間に、埼玉県一級河川起点探しの旅に出ておりました。これが実に面白い、トレジャーハント並み、知恵を駆使して見つけたときの、”アハ”体験は脳内アドレナリンかはたまた、脳内モルヒネをドバドバ湧出させ、私をどんどん深みに誘っていってしまうのです。まずい、この快感を皆様にも体験していただかなくではと思い、サイトにアップさせていただきました。ぜひ参照していただき、実際に探してみてください。埼玉県在住者以外は関心ないかもね。

過去の話題

このページを書くのも一年半ぶりです、しかもその間にサイトの更新はほんのわずか、一体サイトの運営はどうなっているのか、作者にやる気はあるのか、熱意が感じられません。がしかし、眠っていたわけではない、コツコツとサイトネタになるようで、ならない記事を追いかけていたのです。(ただ、自転車に乗ってブラブラしてただけ)
そこで、ビッグページの開設”利根川/荒川河川系統図”。この図を作るのに、どれだけの血と汗が流されたことか、世の有象無象にはとんと分かるまい。
しかし、この図は完成していない。今後どんどん進化していくのだ、それには、このサイトを閲覧している、皆さんの指摘が必要だ。ぜひともご意見をお聞かせ願いたい。アドレスは最初のページから参照してね。チョットメール出すの面倒くさいけど勘弁願います

12/7/10


ようやく1年の沈黙を破り、サイトに新たなコンテンツが追加されました。”鬼怒川の橋”です。取材に2年、思ったよりもかかりました。大作ですぜひ見てやってください。鬼怒川には古いトラス橋が多く橋の見所も沢山です。しかし、上流部の徒歩調査部分が、冬季にあたってしまったため、本年の春以降でないと取材できないことがわかりました。残念です。本当のコンプリートはまだです。が、本年中に終了させたいと思っています。
さて、明治時代の地図ですが、とってもすばらしいサイトを見つけました。こちらです。歴史的農業環境閲覧システム。調べてみますと、明治16年から17年にかけて、関東地方の平野部全域で、陸軍による測量が行われていて、そのときの地図のみフランス式の作図になっていることがわかりました。その後の測量は、ドイツ式に変わったため、貴重なフランス式の地図です。本当は1枚ずつ見ると、余白に絵が書いてあって、それもいい味を出していていいのですが、残念ながらこのサイトでは地図をつなげて表示されてしまっているので、余白の絵が見えません。しかし、フランス式の美しい地図は良く堪能できます。一見あれ。

11/1/17

この頃、利根川の旧流路をいろいろ調べているのですが、埼玉県東部から東京都江戸川沿いにかけて、戦国時代末期から、今に至るまでの、河川の移り変わりが色々とわかる様になってきました。私の勝手なイメージですが、広大な湿地帯を、いかにして米の取れる土地に改良してきたかの歴史だと思います。埼玉県東部の利根川流路はまさに網の目の様になっておりましたが、ほぼ、現在の中川の流路がだいたい本流といっていい流れです。ですから、埼玉県の一番低いところを流れていて、自然に水が流れていく先が、中川ということになります。中川は、古くは隅田川とつながっていて、そのままだと江戸の中心部に大量の水が流入してしまいます、そこで、水を江戸川に流すことになったわけですが、同時に銚子ルートも開削されていったようです。江戸川をサイクリングして気づいた人もいるかと思いますが、江戸川の千葉県側は、結構な丘陵地が多いことがわかります。水は山に沿って、ぎりぎりの際を流れています。江戸川は人間の手が加えられなければ、あのような大河があの位置を流れるわけは無いのです。何が言いたいかと言うと、あの大河でさえ、人間が勝手に作ってしまった川なので、本当の自然の川は、関東平野部にはほとんど存在していないということがしみじみわかってきたということです。
などと、どんどん調べていくうちに、利根川って一体どこまでが本当で、どこまでが偽者??なのか、また、川の名前なんて、時代ごとに勝手に変わっていき、本当の名前なんてどうでもいいんじゃないかなんて、思い始めているのでした。
現在見られるような利根川になったのは、明治43年の水害や、昭和22年のカスリーン台風水害など、自然災害を重ねて立派な土手が築かれていったために、川の位置がどんどん固定されていき、川幅も広がり、ここが川なんだと人間が指定したために、川らしく見える様になってきたのだなと思います。本当の川は、今日はここ、明日はこっちと流路を生き物の様に変えていくものだからです。
昔の利根川の姿を知るために、古地図などを図書館で探してみているのですが、江戸時代の地図は図書館に結構あり参考にはなるのですが、いかんせん、絵的で、正確さというとチョット難があります。そこで、近代的な測量技術の導入された、明治時代初期の陸軍か測量した地図を見てみたいのですが、図書館にはあまり無い様で、どこで見られるのでしょうか、本に載っているのは断片的なものが多く、埼玉県東部全体を通して見られません。江戸時代の絵地図は美術品扱いで、明治時代の地図は本当の地図なので別扱いなのかな??どっかでみつけてやるぞ。。

10/01/19

ようやくこのページを書く気になりました。現在なんだかんだで、利根川を離れ、いろんな写真を撮っています。今は渡良瀬川を編集中ですが、もっとほかの企画の写真もずいぶん撮りたまっています。これからはあまり利根川にこだわらず面白いと思った企画をどんどん進めていこうかと思います。しかし、利根川の橋も建設が進んでいるところは、たまには取材に行かせてもらいます。完成した銚子大橋も見てみたいものですからね。サイト容量の許す限り写真を増やしていきますよ。んーなんてやる気満々になっているんでしょう。
このサイトは利根川の橋サイトですが、生き物コーナーのほうが反響が大きいので、生き物の現状をまた、報告させていただきます。イモリは現在親8頭(アカハライモリ6頭、シリケンイモリ2頭)になっています。生まれた子供は1頭のみ健在です。この個体は絶対にオスであると思われます。カメですが、親2頭は現在も健在で、長男??4年生は2頭、次男3年生2頭、三男1年生1頭の合計7頭に増えています。超大変な飼育になっています。特に夏場は大変です。(@_@;) 09/04/30


近頃、とんとサイト作成の意欲がわきません。利根川の写真も撮影していません。サイト的には不毛の日々ですが、そのうちまた気が向くでしょう。そんなこんなではありますが、水面下ではいろいろ企画を考えています。過去の橋コーナーは前も言ったとおりですが、そのほかの企画も楽しみにお待ちください。

本日、”新利根川の橋”をアップしたので、利根川の仲間たちシリーズも一段落です。後取材済で残っているのは、本編の橋がいくつかあるだけです。それもアップし終わったら。もう一段落ですね。現在一番古い写真は、河口付近の写真になっています。河口は私の家からは遠いのでなかなかいけません。また、別の企画としては、懐かしい写真シリーズもアップしてみようかなと思っています。私が利根川の橋の写真を撮り始めて、はや15年、利根川の橋もずいぶん変わりました。無くなってしまったものを、懐かしむのもいいかもしれません。

新しいWINDOWS VISTAに飛びついて、乗せ変えたところ、いろいろ不具合がありまして、ええぃいっそのこともう一台作ってしまえぃと勢いで、一台作成し現在そのNEW PCにて作成しております。結構大枚はたいてしまいました。しかし、VISTA対応ソフトが出揃うまでは、まだしばらく時間がかかりそうですね。とくにApple系のソフトは。。。。

10年来ずっと同じプロバイダだったのですが、光通信に変更するに当たって、プロバイダも変更してしまいました。リンクを張られている方や、ショートカットを作られている方はリンク先をこちらに http://homepage2.nifty.com/tonegawa/ 変更願います。光契約ですとホームページ容量も100MBが普通なようですので、”生き物コーナー”は消去しなくてもしばらくはいけそうです。しかし、このところ更新していないため、いったい生き物はどうなっているかというご意見もあるようですので、生き物の現状を報告します。カメさん合計5頭はすべて、2007年3月に冬眠からたたき起こされました。健在です。冬眠中水びたしでちょっと危険だったようですが、どうにか生き残りました。イモリさんも去年死んだ2頭を除いてすべて健在です。イモリのお子様は7頭中5頭が不慮の事故??虫エサ地獄で、昇天しまして、2頭のみ健在です。

さて、利根川の話題ですが、新しく”利根川の仲間たち”シリーズを作成しまして、序々にアップしています。苦労の甲斐があって利根川の仲間たちはもうひとつで完結になります。取材はすんでいるので後はアップするだけなのですが、結構大変です。利根川の橋本編のほうの写真もずいぶんアップして、ほとんどの写真が、サムネイル付になりました。写真にもリンクをつけたので、押しやすくなったと思います。また、新しくアップする写真には、なるべくコメントを付けるようにしています。写真だけだとさびしいですよね。ここで、ひとつ問題が、、ごちゃごちゃとメニュー項目を手直ししたおかげで、更新の日付が、表紙の総合メニューと各編のメニューと食い違いができてしまいました、表紙の総合メニューのほうが正解です。利根川の橋も各所で取り壊しや、新築が進んでいるので、少しずつアップはしていきます。

橋の分け方を変えたおかげで、赤城睥睨編が異常に長くなってしまったので、思い切って5つに分かれていた利根川各編を6つに割りなおしてみました。結構妥当性のある分割だと自分でも思っています。新しく追加した厩橋旅情編ですが厩橋(うまやばし)とは、前橋の昔の地名です。この編は前橋市を中心にした編になっています。イメージカラーのグリーンもいい色にできました。背景に使用した写真は、群馬県庁ビルと昭和大橋の公園です。どうぞご覧ください。さらに、現在、利根運河以外の新しい企画を考えていますのでお楽しみに。ただ、私のサイト容量が限界に近づいてきているため、生き物コーナーはなくなってしまうかもしれません。

前橋方面と取手方面、神崎大橋までの取材を11月後半から12月前半にかけて行いました。若草大橋が見たかったというのが取手方面の一番の動機です。前橋方面は利根川の橋サイトで一番取材の穴の部分でした。今回取材を進めたことで、一番の穴は沼田方面になりました。今度ぜひ行きます。また新しい橋が増えているかもしれませんね。それと、どうしてもおかしかった各編の範囲を見直しました。かなり妥当性のある分け方だと思います。しかし、赤城睥睨編が異常に長くなってしまいました。この辺はまた考え直さねばなりませんね。

近頃、自転車にはまりまして、いろいろと散歩しているのですが、利根川の河川敷なぞは、サイクリングにはぴったりですね。しかし、自転車で橋の写真を撮るのには利根川は長すぎますので、利根運河はどうかと思い出かけたのは今年(2006年)4月のことでした。ということで、利根川の橋サイトもとうとう利根川を飛び出し、違う川の橋の写真をアップしてしまったというわけです。利根運河は河川の両側が自然に恵まれていて、良いですね。自動車で橋の撮影をしようと思うと大変ですが、自転車ならあっという間に写真が撮影できてしまいます。なにせ全長8qのうえに両岸がサイクリング道になっているので、1時間もあれば往復できてしまうでしょう。近くの人はぜひサイクリングしてほしいと思います。野鳥もいろいろ見られますよ。

昭和橋が2006年3月に開通しました。ここも古い橋は取り壊されてしまうようです。非常に残念です。トラス構造の橋がどんどんなくなってしまっては、橋の面白みがまったくありません。そのうち桁橋と斜長橋しかなくなってしまうんではないかと心配しています。なんとか新しい橋のデザインで面白いものが出来ませんかねぇ。

銚子大橋の架け替え工事の情報が、届きました。起工式が行われたそうです。情報ありがとうございます。まだ新しい橋の形は見えませんが、私は古くなった今の橋が取り壊されてしまうのかと思うと残念です。歩行者専用の橋にして残すなんてことは無いですよね。

ようやく踏ん切りがついて、今年(2005年8月)の夏、水上方面に行って来ました。行ったのは3年ぶりくらいですが、本格的に一通り見て回ったのは、5年ぶりくらいになります。新しく完成した橋、通行止めになった橋、取り壊されてしまった橋、橋のドラマはそれぞれです。日々変化していくからこそこのテーマは面白いのです。さて、そんなこんなで、今度は茨城、千葉県境に新しい橋が建設されているとの情報を受けたので、今度の取材はそちら方面かな。

8年目にしてようやく10万ヒットを越えました。応援してくださっている皆様ありがとうございます。

利根川の橋データを久しぶりに見直してみました。資料によって違うところや、私の現地調査と違うところなど、結構どちらが正しいんだか、わからないところも多く悩みどころです。橋の完成日と開通日が違うことが、考え方の違いで発生してしまうところもあります。鉄道や高速道路は、完成日と開通日が絶対違うわけですので、わかる範囲で記入させていただきました。橋の構造なども記入しましたが、これも資料により構造の呼び名が違うことがあります。トラス構造の呼び名にはいくつもの種類があり、勉強不足で申し訳ありませんが、わたし自身がこの名前だとハッキリいえないので、資料の名前をそのまま使わせていただきました。思えば私がこのサイトの運営を始めたころには、インターネット情報をかき集めても、たいした資料に行き当たらずに、図書館などにも調べに行ったものですが、今は、結構な量の情報が集まります。時代の流れをひしひしと感じます。

利根川の話題をそっちのけに生き物コーナーを作成し満足してます。我が家には生き物が多いので、イモリやカメ以外も紹介したいですが、ほかの生き物はあまり面白くないし、写真が難しいのでサイトになりません。私のサイトは写真を基本にしております。ただ、生き物の写真はNikonではなく、東芝の携帯電話で撮影しております。携帯電話ってすごいね。恥ずかしながらはじめて携帯電話を持ちました。

カメのコーナーを作ったのはカメの子供が初めて生まれたからなのです。これって一種の親ばかでしょうか。カメの子供ちょーかわいいですよ。

MAPバージョンをつなげて上流から海まで一枚につなげてみました。インターネット史上まれに見る縦に長い図ではないでしょうか。ただ、ファイルサイズが大きいので、ブロードバンドの方は良いですが、アナログ接続の方は、少々厳しいことになっています。(500KBくらい)

ようやく、橋の通称情報が入りました。「利根川大橋」を、地元では「逆水門」とか「河口堰」「潮止め」と呼んでいるそうです。情報提供ありがとうございました。

作者からちょっと

いまさら掲載ルールなんてものを作るのも変な話なのですが、渡良瀬川を編集していて疑問に思ったことがあったので、一応ルール作りをしておきます。
このサイトは橋の写真集ということになっていますが、橋以外のものもたくさん乗せています。最たるものは、ダムですが、水門と橋が混同されている点も少しおかしいかなと思います。要は川の両岸に渡って建設されている建造物ということで、編集を進めます。すなわち、川の真ん中に立っている鉄塔なんかはここには掲載しません。よほど面白ければ、番外編にて掲載します。なら、、頭首工はどうなの??ということになってしまいますが、その辺の判断はその都度ということでお任せください。困ったのは、水管橋です。山地に入ると水管橋は沢山架かっています。すべて発見できるわけがありません。また、掲載しても面白くもありません。ので、、そこでルールです。何らかの構造体を伴った桁を有している水管橋のみ掲載することとします。ですから、両岸の橋台からワイヤーを渡しパイプ構造体を懸架させたものは両岸に渡る構造体とみなさず、このサイトでは取り上げないこととします。ただ、私の判断も多少入りますので例外も出ると思いますがそこはゆるいサイトですのでおゆるしください。09/05/06

1992年頃から撮り始めた利根川の橋や渡し舟などの写真集です。最初は、暇つぶしにはじめたことなんですが、だんだんとのめりこんでいきまして、このようなことになってしまいました。写真についているコメントは、素人のたわごとと聞き流していただければ幸いです。

約10年間、利根川の橋を見てきたわけですが、ほぼすべての橋を網羅できたと考えております。

橋の名前のきまりがあるそうで、基本的には”なんとかばし”というふうに”ばし”はつけないそうで”なんとかはし”というのが正式名称だそうです。そう言えば、はしの名板はみんな”はし”表示ですね。

橋って言うのは結構正式名称で呼ばれない場合が有るようで、行田市と千代田町にかかる「武蔵大橋」は、通称「利根大堰」と呼ばれていて、「武蔵大橋」なんて呼んでる人はいないんです。そんな名前がついてることすら知らない人がいるくらいです。ですから、ほかの橋にも通称が有りましたら、メールにてどしどし教えてください。

これからも、いい写真が撮れましたらアップしていきますのでたまには見にきてください。

写真の転用は自由ですが、メールにて連絡してください。


利根川の橋についての・情報・ニュース・間違い・よみがな違い・がありましたらメールにて御指摘・御一報ください。特に渡し舟情報まっています。

インターネットエクスプローラー以外のブラウザでご覧の方は、多少表示が変になる傾向がありす。JAVA SCRIPT等々。。。

自信を持ってお送りする、番外編をどうぞご覧ください。でも見た後怒らないように、、、


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