2010年5月3日 更新

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桜咲く土手に、薫風吹いて、川面涼やかに、小波立つ。人、散る花を惜しみ、またひとつ、時が往く。

利根川の一部であった権現堂川は、現在川としての機能はあまり無く、
全長(約5km)に渡って調整池の役割を持っています。
権現堂川が利根川の流路だったのは廃川になる昭和3年以前で、
明治期以降に利根川の流れは次第に現在の流路に付け替えられていったようです。
幕末(安政年間)の古地図を見ると、完全に利根川扱いであったことがわかります。
当時の利根川は、川妻給排水機構場のところから南下し、
この権現堂川を流れ現在の中川に合流するところで東進し、
幸手放水路のあたりで、現在の江戸川に流れ込んでいたようです。
利根川が関宿の北部に抜ける流路(赤堀川と呼ばれていた)はずいぶんと細かったようで。
その流路が開通した後も、権現堂川は利根川の本流のような扱いであったようです。
そのため、現在でも権現堂川が埼玉県(武蔵国)と茨城県(下総国)の県境をなしています。
さらに昔(会の川締切以前)は、渡良瀬川の一部だったようで、現在の渡良瀬川の流れを先に延ばしていくと、
ちょうど権現堂川の流れと一致します。
当時の渡良瀬川は権現堂川を通り、現在の江戸川に流れていました。
利根川本流は、会の川筋を通り、現在の古利根川や中川を流れていました。

川妻給排水機構場

06/04/30

09/06/20

霞橋

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JR東北新幹線
権現堂川橋梁

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太平橋

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船戸橋

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