流山橋(ながれやまはし)
完成当初は、この時代の橋の多くがそうであったように、歩道がありませんでした。 ので、下流側に歩道が架けられました。1976年(昭和51年)6月の銘板になっていますので、 その半年から1年後の完成でしょう。橋脚が利根川の境大橋歩道橋と同じ構造です。 違うのは、カバーが波除け型になっていないことです。 同じ設計者だったのでしょうか。製作は石川島播磨重工業となっています。 流山橋の少し上流左岸に新撰組の近藤勇陣屋あとがあります。 流山は近藤勇終焉の地です。
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