昭和橋(しょうわはし)

昭和橋は、江戸時代には川俣の関所のあった場所に作られ、
中仙道鴻巣宿から行田忍の城下をへて館林を通り、日光へ向かう”日光脇往還”の道筋に当たります。
川の両岸に川俣という地名があり、このあたりが以前には川筋もがいくつにも分かれていたことを、窺わせます。
また、川俣といえば、足尾鉱毒事件の際に、下流域の農民がこの地で警官隊と衝突した、
川俣事件の現場でもあります。群馬県側に川俣事件の史跡があります。
現在の橋は3代目、初代は昭和4年(1929年)完成、取り壊された2代目は昭和37年(1962年)完成
写真は、2014年12月20日に完成した下り車線用橋。

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